私は何者か

 私達は問題があって牧師に相談する時、牧師はいつも「共に神様に祈りましょう。神様の愛と恵みを信じましょう」。いかに偉い先生に言っても答えはこれだけです。人間の手には何も出来ないからです。共に祈ることによって、生きておられる神様が働いて下さることを私達は望み、聖書に記されている神様の愛を共に信じていくしかないからです。共に信じていく。そこで主が働いて下さる。私の問題に手を伸ばし、私の嘆きを聞いて下さり、愛する独り子をこの世の中に一番低い所に送って下さった。そのような神様に、牧師が共に手を握って祈るしかないのです。
私は何者でしょうか。結論は、望みがない。神様の前に無力。罪の中に生まれ、罪の中に死ぬしかない。しかし神のかたちを持っている尊い存在として神の恵みに生かされている。神によってのみ大事な、貴重な、かけがえのない存在なのです。そのような私達は告白することができるのです、「主にのみ、私は望みを置いている。主は耳を傾けて、叫びを聞いて下さる」。私の叫びを聞いて下さっている主が、私に一番良いものを与えて下さった。私は皆さんが、神様の光のもとで、私が何者であるかを確信し、「ただ主に依り頼む者」として、そこにだけ望みをおいて生きることができる。そのような勝利者になることを願います。