被造物は創造主の住まいを造れない

 創造主である神様の住まいを、被造物である人間が造るということは不可能です。神殿は、神様がそこに名前を置き、目を注いで下さるゆえに、私達人間はそこから祈りを捧げるのです。私達の伝道所も(全ての教会も)天におられる神様が目を注いで下さる故(ゆえ)に礼拝場所となるのです。ところが、イエス・キリストの時代、エルサレム神殿は当初のソロモンの祈りから遠く離れ、ユダヤ教のシンボルとして絶大な権力を誇る存在となっていました。いつしか神殿は金の子牛のように偶像礼拝の対象ともなっていました。どこにでもおられる神様を、神殿にしかおられないとの錯覚に陥りました。実際、ステファノが議会に訴えられたのは「この男は、この聖なる場所と律法をけなした」との冒とく罪でした。