私達の日常

では、私達にとっては日常とはどのようなものでしょうか。私達の日常とは、灰色の、平凡でつまらなくて、そういうことの繰り返しである・・そんなことなのでしょうか。そうではないと考えます。
信仰者の日常は、そうではなく、「主の教えを愛し、その教えを夜も昼も口ずさむ。そして流れのほとりに植えられた木のように実を結ぶ。モーセにも増して神を見る」、そのような豊かな日常に生かされているということではないでしょうか。特に、先の東日本大震災で亡くなった多くの犠牲者達のことを思う時に、彼らが望んでも生きることの出来ない日常に私達は「今」、生かされているということに特別に留意したいと思うのです。すなわち私達にとっての課題は、「今」という、この生かされている日に、いかに生きるべきか、ということです。私達は、ある意味では神に逆らう者と共に生きている。それが日常です。