永遠の命に至る水

エス様は女性に対して、「あなたが神の賜物のことを知っていたら」、「あなたが、私が誰であるか知っていたら」(10節)、あなたの方から私に水を下さいというでしょう」と言われました。「神の賜物」も「私」も、イエス様のことです。誰でもイエス様を知るならば、私達の方からイエス様に願い出て、「水を下さい」と頼むようになります。なぜなら、「私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。」(14節)からです。

しかし、イエス様から水をいただく前に、私達は、先ず、自分自身のことを知らなければなりません。「医者を必要とするのは健康な人ではなく、病人である」(ルカ5:31)からです。自分の心・精神・生き方には問題はないと自負する人は、自分の魂の渇きに気付かない人です。しかし自分自身の中に欠けている部分を見出し、自分の魂に満ち足りた思いがないことを知る者は、その欠けた部分を満たして下さるお方がいると知れば、喜んでその方のもとにやって来るでしょう。イエス様は、サマリヤの女性が人目をさけて、炎天下に水を汲みに来なければならない現実を明らかにされていかれます。

聖書は、イエス様こそ魂の飢え渇きを癒して下さるお方であると宣言します。「渇いている人は誰でも、私の所に来て飲みなさい。私を信じる者は、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネ7:37)