二種類の人間

詩編一篇を概観してみますと二種類の人間・・神に従う者と神に逆らう者、その両極端の人間が対照的に描かれていることに気が付きます。
最初に、神に従う者が描かれています。「神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。」(1節−2節)と記されていますが、逆説的にこの表現は、神に逆らう者の姿をも表わしています。すなわち、神に逆らう者とは、「計る者」「罪ある者」「傲慢な者」のことです。最初の「計らう者」とは、神に対して悪意、又は邪悪さをもってことを企てる者のことです。「罪ある者」とは、的(まと)から外れて生きている者、「神」という目標から外れて生きている者のことです。「傲慢な者」とは、「あざける者」のことです(詩編119編参照「傲慢な者は、私を、はなはだしく見下しますが・・」)。「傲慢な者」は、神の教えを放棄して、裁きなど恐れず、あざける者の姿を表現しています。悪意ある計画を計り、神から外れて歩んで、神をあざける。そういう混然一体となって「神に逆らう者」の姿を浮き彫りにしています。
他方、神に従う者はそうではない。そういう生き方とは一線を画します。一線を画すだけでは無くて、むしろ主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむというのです。この第一篇はそのような、神に従う者と神に逆らう者の生き方の違いだけではなくて、その生き方が招く「結果」にも言及しています。