「主の霊」が臨み、「神、共にいます」にもかかわらず・・

 エフタをイスラエルの頭にしたのは、人間の業を通して働いて下さる神様のご計画によるものでした。エフタに主の霊が臨み、エフタも主が自分とイスラエルと共におられるのを確信していました。それなのに、あまりの不安に、「神様、私がこのようにしますから、このようにして下さい」と幼稚な祈りをしているのです。神様は人間の何かを必要とする方ではなく、人間の行為によって動かされる方でもありません。私達が無理な誓いを立てることによって願いがかなえられたり、神様の御心が変えられることはありません。


 痛みと苦しみを覚えながらも、誓いを実行しようとするエフタとその娘・・誠実な信仰の姿が見えますが、信仰者でありながらも不信仰な態度をとったその代価は大きなものでした。