指導者として立つ

 このように、遊女の息子として、差別や無視の対象であったエフタは、イスラエルを導く指導者になりました。人間は外面を見て、その人達の出身や持っているものを見ますが、神様はその人の心の中心を見ているのです。ギレアドに戻ってきたエフタは、まず主の御前に出て、自分が言ったことをことごとく繰り返す姿があります。エフタは主の御前で、今までの全てのことを、自分の心情をことごとく神様に告げています。


 エフタがいかに勇敢な人であっても、一国の軍隊と戦うことが心にいかに大きな負担になったのか分かります。彼は人々が頼るほど大 きな力を持っていたようであっても、この戦争を前にして、本当に小さな惨めな心になって、神様の前で一日、ことごとく、その戦争について話をしているのです。つまり、祈っているのです。アンモンの王は、戦いの理由を、昔イスラエルがエジプトから上って来た時、アンモンの国土を奪ったから、今、それを平和に返還せよ、と伝えてきました。これに対してエフタは使者を送り、アンモンの王の話が間違っていることを詳しく、歴史的な事実を用いて反論をします。それを見ると、エフタは緻密にいろいろなことを考え、戦争を避けようとする様子までも見せています。


 しかしアンモン王はエフタの話を聞こうともせず、戦争を仕掛け、ついには戦わなければならなくなりました。その時「主の霊がエフタに臨んだ」(29節)とあります。イスラエルの民のために戦う為に、「主が共におられる」。そのような「しるし」が与えられました。