アウグスチヌスとフェリクス総督

 4−5世紀にかけて活躍したクリスチャンの指導者にオーガスチン(アウグスチヌス)がいます。彼は若くしてローマの大学の教師になりましたが、一方、放蕩の不道徳の若者でもありました。母モニカは、彼の為に祈りに祈りました。彼女は「涙の子は滅びない」という言葉で有名になった人です。アウグスチヌスは自分の悪い生き方を反省しているようですが、なかなか足を洗うことができません。競輪競馬が好きな人はやめようと思ってもやめられないそうですが、アウグスチヌスも同じように、いつまでこのような悪い生き方を続けるのだろうか、と自分でも情けないと嘆いていました。「神様、いつまでですか」とうめくように祈りました。その時です。急に「取りて読め、取りて読め」と子供の声が聞こえてきました。これは「聖書を開け」ということだな、と聖書を開きました。その時、このロマ書13章の11節から14節が目に入ってきました。

 今日の聖書の箇所です。これを読んだ時、彼の眼が開かれました。彼は勇気と力が与えられ、その時、その場で、彼の放蕩の生活に終止符を打つことが出来ました。明日からとは言いません、今日、今からキリストを着ます、キリストにある新しい生活を始めます、と決着をつけたのです。その足で母の所に駆けつけ決心を話しました。勿論母は大変喜びました。まもなく母は召天しました。アウグスチヌスの決心がもし遅ければ、母を喜ばすことは出来なかったでしょう。今がチャンスなのです。アウグスチヌスは母の死後、北アフリカのヒッポという町の司祭となり、40年以上奉仕し、76歳で母のいる天国に凱旋しました。対照的なのは、使徒言行録24:25にあるフェリクス総督です。

 「パウロが正義や節制や来るべき裁きについて話すと、フェリクスは恐ろしくなり『今回はこれで帰ってよろしい。また適当な機会に呼び出すことにする』と言った。」とあります。フェリクス総督は、今、今日、決心出来ませんでした。「明日」「今度」と伸ばして、二年後には後任のフェストゥスと交代したのです。救いの機会は永遠に失われました。