眠りから覚めよ

 今はどのような時でしょうか。パウロは「眠りから覚めよ」といいます。ということは、私達は今、現在、眠っていることを意味しています。私達が勉強したりテレビを見ていると目が重くなる時があります。使徒言行録20章9節には、エウティコという青年がパウロの説教中、窓に腰かけていたけれども眠って3階から落ちたという記録もあります。私達がうつらうつらする時、周囲は眠っていると見ますが、本人は「起きている」ように思っています。私達も信仰的に、同じようなものではないでしょうか。信仰的に、霊的に、「眠ってなんかいない。起きている」と思っても、パウロのような信仰の達人からみれば眠っているようにも見え、あるいは本当に、信仰的に眠っているのかもしれません。私達が眠い時に起こされると「もう少し眠らせて」といいます。なかなか起きようとしません。本人は気持がよいので眠っていたいのですが、今、起きなければ大問題が起きる可能性があります。起きるべき時があります。パウロは「今が大切。明日はないかもしれない。だから今起きなさい。今、今日、起きよ。時が迫っている。」と起すのです。私達はもっと眠っていたくても起きなくてはなりません。起きるべき時がきているからです。それは明日ではなく、今日、今なのです。