私へのメッセージ

 私達すべてのものは霊的な意味で、生まれながら歩けない足を持ったようなものではないか。そして本当に願うべきことは「歩く」ことなのに、いつしか歩くことを願わずに、ささやかな施しで満足してしまうような、この男の人と同じような状況にあるのではないか。聖書は、「私達が必要としているもの・求めるべきものは、今あなたが望んでいるものではなくて、もっともっと根本的なことである」ことを教えているのではないか。そして聖書は、イエス・キリストの名によって願う時に、必ずそれは与えられる、と教えているのではないか。今日の聖書を通して、そのように語りかけているようにも思えます。聖書はいつも、他人にではなく、あの人にではなく、この私自身にメッセージを語る神の言葉です。お一人お一人が、今日、この聖書から自分に語る神様の言葉を聞きとることが出来るように祈るものです。