救う自由はない

 ただ、この自由意志は、選ぶことは出来ますが(善悪について)、自分の救いについて、救いを選び出す自由は持っていません。ですから選択の自由を誤った時は、心が荒廃し、神を畏れなくなりますが、しかしそれを救う自由というのは私共にはない。これがルターのいう「奴隷的」ということです。他方、今日の世界は、この「救いの自由」ではなく、人間の尊厳と選択の自由、信教の自由、結社の自由、良心の自由、それぞれの理由に基づいて、教会を作り、又、自分達に必要な団体を作っていくという事柄は、今日の世界文明の共通の価値になっています。それだけにアダムとエバに与えられていた「意志の選択の自由」という問題は今日も重要であるといえます。