救いの御力

 ヤイロの娘を助けに行く途中、聖書には、長い間、出血に苦しんでいた「長血の女」が登場します。全財産を費やして病の回復を求めますが病気は益々悪くなります。病気という身体の辛さに加え、社会からも忌み嫌われ(汚れている者。レビ記15:25−)、精神的にも追い詰められていた筈です。主の救いを正面からねがうことも出来ない彼女は、それでも「救いの御力のおこぼれ」を願いイエス様の服に触れます。するとすぐに病気が癒されたことを感じました。注目すべきはその直後のイエス様の言動です。「イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、『私の服に触れたのはだれか』と言われた」(30節)。癒しの奇跡。それはイエス様の御力が人の上に流れ出て起こるものであるということがわかります。ここで、更に思いめぐらせていただきたいのは、弟子達も言っている通り、多くの群衆が、さまざまの角度からイエス様の服に触れている場面です。その中で、主の溢れる御力をもって癒しのわざをいただいたのは、この世に救いがないことを知り、打ち砕かれた心で、切実な思いでイエス様により頼んだ「長血の女」だけだったのです。ひれ伏してすべてを告白した彼女に、主は、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」と祝福の言葉を贈られました。