人の子は安息日の主

 律法は、神様が憐れみを覚えられる人間の為に与えられたものです。人間が「○○を守れ」という人間の意図を含む規則に支配されるなら、それは主客逆転であり、神を神としない偶像崇拝になります。今日の旧約聖書イザヤ書58:13-14には、神に従う道とは自分の欲望に従うのではなく、主を第一と考え、主の聖日を尊ぶべき日と呼ぶ、即ち、「主を喜びとする」ことと書かれています。私達は神様を第一と考えて生活し、主の日は神様第一の、神様を喜びとする礼拝を献げているでしょうか?