この世のことに向かう態度と礼拝に向かう態度

 私自身、かつて信仰生活の初めの頃は、礼拝には半ば義務的に行っていました。しかし信仰の友の、「礼拝に出席した後には、コンサートの後の高揚感、いや、それ以上の充実感が与えられる」との言葉を聞いて、考えが変わりました。コンサートやスポーツの試合などには一時の幸福感のために、早く行き、しっかり向き合い、味わい、余韻を楽しみます。まして、自分を辛い世界にがんじがらめにしたものから永遠に解放して下さった神様と御子イエス様に献げる礼拝に、それ以下の態度で臨む時、その礼拝は神様に喜んで受けていただけるでしょうか。私達はイエス様の大いなる救いの恵みにあずかっているのですから、信仰を共にする兄姉と礼拝を献げる安息日こそ、御子イエス様が御自分の主権をこの世に宣言された喜びの日として、その御恵みを心から祝いたいと切望します。そしてこの一週間も、主を喜びとできるよう、喜びを共有し、生かされていきたいと願います。最後にコロサイ書3:15-17をお読みします。

また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。
(コロサイの信徒への手紙3章15−17節)