「そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし疑う者もいた。」

 11人の弟子達は、復活のイエス様に会ったマグダラのマリアともう一人のマリアから、ガリラヤに行くようにとのイエス様からの伝言を聞き、この山に登ってきました。そして、復活されたイエス様にお会いし、礼拝しました。しかし11人全員がイエス様の復活を、生前の約束の成就として喜びをもって礼拝したのではなく、目の前におられるイエス様にお会いしても尚、「本当にこの方が、私達が従ってきたあのイエス様なのか。本当に十字架で殺されたあのイエス様が復活されたのか」と復活という現実を受け入れられずに、疑った弟子もいたということを聖書は伝えています。


 「疑う」は、ドイツ語では「一つの状態であることが出来ず、二重の状態になる」という意味から成り立つ言葉です。同じマタイ福音書に、弟子達だけで、舟で向こう岸に渡ろうとした時、舟は逆風のため波に悩まされ、夜明け頃、イエス様が湖の上を歩いて弟子達の所に来られた時のことが記されています。ペトロはイエス様だとわかった途端、イエス様に頼んで、自分も水の上を歩いてイエス様の所に向かいます。途中強い風に気付き、急に怖くなり、沈みかけて、『助けてください』と叫びました。イエス様はペトロに向かって「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と、ここに、同じ「疑う」という言葉がでてきます。「疑い」は、このようにイエス様から目を離した時に起こるのです。