兄息子

他方、弟の帰宅を喜び迎えることの出来なかった兄についても、イエス様はくわしく語っています。兄は、弟の為の祝宴が開かれていると聞いて怒り、なだめる父親に、自分がどんなにこれまで働いてきたかを訴え、父親の不公平さをとがめます。兄息子は、正しい者はその報いを受け、罪人が滅びるのは当然という、当時のファリサイ派や律法学者の態度を代弁しています。父は兄息子に言います。「子よ、お前はいつも私と一緒にいる。私のものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」。

今も多くの方々が世の束縛や自己の欲望の中で(神から離れた罪の世界の中で)苦しんでいます。私達は、神様のところに立ち帰る人々が多く起こされ、伝道所を訪れる方々を放蕩息子の父親のように待ち、その方々を心から喜び、お迎えしたいと思います。