2008-10-26から1日間の記事一覧

<参照>

日本基督教団信仰告白の引用箇所 ・・神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信じる信仰により、我らの罪を赦して義としたもう。この変らざる恵みの内に、聖霊は我らを潔(きよ)めて義の果(み)を結ばしめ、その御業を成就したもう。・・」 七つの悔い改め…

最後に聖書をお読みします。

「“霊”も弱い私達を助けて下さいます。私達はどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成して下さるからです。霊は神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成して下さるからです。神を愛する者たち、つまり、ご計画…

私達の生きる枠

私達は霊の初穂を与えられ、信仰によって義と認められ、御霊である神の言葉<聖霊が働く聖書と説教という神の言葉>によって守られている、ということの中で聖化の歩み、聖霊のもとに導かれる歩みをすることが赦されています。これは大きな私達の枠です。私…

アウグスティヌスの御言葉とのかかわり

あの有名なアウグスティヌスは、死の病床に横たわりながら、壁に七つの悔い改めの詩編を書き並べて貼っていたと愛弟子ポシディウスは書いています。それはアウグスティヌスにとって大きな感謝、大きな安心の拠り所であったと思います。同時に自らを悔い改め…

三つのキーワード

今朝の聖書には三つのキーワードがあります。1「霊の初穂」(23節)。2「体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます」(同)。3「万事が益となる」(28節)です。 「霊の初穂」。これは、キリストを信じることによって義とされることを受け…

私達の罪が、キリストに転嫁された!

キリストを信じることによって私共が義とされるのは、神の義から見て義しいとされるのですからこれは大変なことです。それがどうして起こるかというと、キリストが私達の罪を負う。その時キリストの持っている神の義を与えて下さる。私達の罪とキリストの義…

体験に基づく聖書の読み方

この体験によってルターの聖書の読み方がすっかり変りました。福音から聖書を読む。聖書に出てくる神の平安とか、神の宥(なだ)め、神の憐れみとは、イエス・キリストにおいて現れた神の平和・平安、憐れみです。山上の説教に「柔和な者は幸いである」とあり…

ルターの体験

体験のきっかけとなった聖書は、ロマ書1章17節「神の義は福音において示された」です。福音とは1章の初めにあるように「キリストに関するもの」(3節)「キリストそのもの」です。ですから「神の義は、イエス・キリストにおいてあらわされた」ということに…

95カ条の提題を出さざるを得なかった理由

95カ条の提題を出す以前に、ルター自身の中に宗教改革的な体験・思い・認識があったということです。それがあって始めて単なる批判ではなくて主張・提言を含む提題を出すことが出来ました。ルターはどのようにしてイエス・キリストと新しく出逢ったのでしょ…

95カ条の提題

この冒頭すなわち第一カ条に記されているのが「私達の師にして主であるイエス・キリストが『悔い改めよ』(マタイ4:17)と言われた時、主はそれによって信じる者の全生涯(洗礼を受けた時から地上の生涯を終えるまで)が悔い改めであるべきことを求めておら…

はじめに

今から491年前、1517年10月31日に、マルティン・ルターが95の文章をヴィッテンベルク大学のある町の領主の居城の教会堂の扉に貼り付けたというこの事件をきっかけとして、宗教改革が始まりました。それから150年後、ドイツ、フランス、スイスなどのプロテ…

 8章23−28節

23 被造物だけでなく、““霊””の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。 24 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希…

 18章30−32節

30 それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、と主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。31 お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて…