体験に基づく聖書の読み方

 この体験によってルターの聖書の読み方がすっかり変りました。福音から聖書を読む。聖書に出てくる神の平安とか、神の宥(なだ)め、神の憐れみとは、イエス・キリストにおいて現れた神の平和・平安、憐れみです。山上の説教に「柔和な者は幸いである」とありますが、私共が柔和な者である、というのではなくて、キリストによって私共が柔和な者とされる、ということです。イエス・キリストによって、私共が平和を作り出す者になり、私共に平安が与えられる。私共が生まれながらのままでは、平和を作り出したり柔和な者であるということは神の前ではあり得ない。私共は、福音によって(キリストによって)創り変えられる。受け身です。そのように読まなければならないということをルターは体験によって学びました。「神の義」を通して「私達を義とする」「義しい者に作り替える」。

それは、キリストがキリストを通してそうさせて下さる。キリストを信じることによってのみ義とされる(神が見て義(ただ)しい者とされる)ということです。私達が義を行っているのではありません。