ルターの体験

 体験のきっかけとなった聖書は、ロマ書1章17節「神の義は福音において示された」です。福音とは1章の初めにあるように「キリストに関するもの」(3節)「キリストそのもの」です。ですから「神の義は、イエス・キリストにおいてあらわされた」ということになります。神の義は、哲学や道徳や倫理で語るような論理ではなく、神の子であられる主イエス・キリスト、この方が「神の義」であるということです。それまでのルターは、「神の義」とは正しい、罪や悪を裁くと考えていました。神の義しさで罪や悪を裁くのですから、徹底的に裁くということになります。彼は最も厳格な修道会(アウグスティヌス修道会)に属し、日夜修道的な生活をしていました。しかしどのように厳しく修行しても神の義の前で裁かれるのですから安心は出来ず、苦悩しておりました。そういう時に「神の義とはそういうものではない。そういう部分もあるけれどもそれが本来の神の意図ではない。本来の神の義とは、福音において現れている。イエス・キリストにおいて現われている。そのイエス・キリストを受け容入れる、信じる。そういうことしかない。」そこに行き当たりました。そういう体験でした。