弟子達の思い 

 弟子達は、神の国を広めるイエス様のお働きの大切さを理解することは出来ませんでした。多くの人がイエス様を賞賛し,権威あるお姿に感動し,その癒しに感謝している。これが続いてほしい・・。「皆が捜しています。」(37節)の言葉の背後には、弟子達が輝かしい成功を目の当たりにして「戻って、癒しや悪霊退治を再開してほしい」という願望があったかもしれません。そこには「神様」より「自分の名誉」の方が大事という「罪」の姿があります。