はじめに

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである
。」 

 ここで言われている「疲れ」「重荷」は、当時の人々を苦しめていた律法を守ることと関係しています。イスラエル民族は、神様から選ばれた民、「選民」と言われます。民族の祖先にアブラハムを持ち、モーセの時代には、神様から十戒を初めとする「律法」を与えられた民族です。律法の民とも呼ばれ、彼らは律法を守ることによって、高い倫理性をもって生きてきた人々でありました。
 しかし、イエス様の時代、律法を重視するあまり、さまざまな弊害も出ておりました。人々は日常生活の中で、律法を守りながら生きることの苦労を強いられていました。ユダヤ教の場合、律法の十戒は10あるだけですが、律法研究者達は、十戒を徹底的に守る為の細則をつくり、たとえば安息日の守り方については、歩くのは何キロまで、物を持つのは何グラムまで、怪我をしても手当はここまで、などと人々に教えました。そのように、神殿への供え物について、宗教的儀式について、すべては細かい規定に縛られていたのです。そして、それらを守らない者達には、「罪人」のレッテルがはられ、神の国に入ることは出来ないと考えられていました。
 昔、日本でも、仏教や神道などの諸行事は、伝統にのっとって定められ、人々の生活を支配していました。決められたことをすべて順序に従って執り行うことは、時には犠牲を強いられ、重荷となることは想像できます。イエス様は、神様を信じて正しく生きていきたいと思っている人達が、現実には律法を守ることが困難で、そのことで疲れを覚え、重荷を負う人々に、律法から解放して、休息と平安を与えようと招かれているのです。