第二は、神の約束がキリストに於いて実現された!

旧約で預言されていた「苦難の僕」としてイエス・キリストは十字架にかかって、お亡くなりになった。そして復活して昇天された。そのキリストが、実際に行なったキリストの救い主としてのわざ、救い主としての
生活・歩み。それが使徒達の語った二番目のことです。キリストが教えられた山上の説教とか譬え話などは、実は、キリストが十字架におつきになり死んで復活された・・そのことなくしては実際には起こらなかった。キリストの死と復活が、私達にとってどういう意味を持っているかが、譬え話であり山上の説教であるわけです。ですから、キリストの十字架と復活なしに、山上の説教を理解することは出来ません。たとえば、「あなたがたは地の塩・世の光である」と言われた時、その根拠は、キリストが、私達一人一人の為に十字架におつきになり、そのキリストが持っておられる「救いのわざ」によって保証されています。どんな身分の人でも、どんな職業の人でも、「キリストの十字架の苦しみと復活という救いのわざ」に与って(あずかって)います。与ることが許されています。救いのわざから見れば、全ての人は、地の塩・世の光である。こういうわけです。何か良い業をしたから、地の塩・世の光であるわけではありません。キリストがおっしゃった言葉の背後には、キリストそのものが一人一人に与えられています。キリストの、救いのみわざがあるから「あなたがたは地の塩・世の光である」と言えるのであり、キリストが保証したわけです。キリストのみわざ、キリストの救い主としての歩み、これが、御霊が降り、御霊が働く神の言葉の内容の二つ目であります。