第一は、旧約聖書の約束

第一は、イスラエル民族、族長達、とりわけ詩編やイザヤ・エレミヤ・エゼキエルなどの預言者達によって、神の救いの約束が語られています。旧約の預言、旧約の約束、イスラエルを悔改めさせ救うという、神の救いの約束が語られています。たとえば、イザヤ書61:1には「主はわたしに油を注ぎ 主なる神の霊がわたしをとらえた。 わたしを遣わして 貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み 捕らわれ人には自由を つながれている人には解放を告知させるために。」とあります。ここでは、救い主・キリストが語られており、伝道者のわざの中に聖霊が働くことを言っています。
ペトロはここで、旧約聖書においてどのように救いが約束されているかを語ります。たとえば私達が良く知っている、イザヤ50章―53章に記されている「苦難の僕」としての苦しみは、十字架にかけられるキリストの、救い主であることが語られています。
これが神の言葉として、神の言葉を語る人達が語ったものです。そしてそこで聖霊が働くものの一つであります。