主の祈り

ルカによる福音書によれば、弟子の一人が「私達にも祈りを教えて下さい」とイエス様に頼んだ時、教えられたのが、この「主の祈り」です。
 「天におられる私達の父よ」は、神様が、私達を越えて天に高くおられると同時に、父のように、すぐ近くにおられる方として呼びかけます。
御名が崇められるように」は、私達の祈りが、神様の御名を呼ぶことから始まり、御名を尊び、神様を聖なるお方として崇めるように求める祈りです。「御国が来ますように」は、神様の御支配が来るように、それは神様の御意志が行われることを求めることです。神様の御意志こそ、私達の救いとなるからです。
御心が行われますように、天に於けるように地の上にも」は、私達に天のことを考えさせます。天では神様への服従と奉仕が行われており、生命と平和と神様の栄光に満ちています。それに比べて地上では、神様の御意志はかえりみられず、人間の思うままに事柄は進み、人々は苦しんでいます。それゆえイエス様は、地上でも神様の御意志がなるように求めることを教えられます。以上のように、イエス様は、先ず第一に、神様のものを求めることを教えられました。

次に、私達に関する祈りを教えられました。最初に、私達の命を維持するのに必要なものを求める祈り、二番目は、自分の罪を忘れない為の祈りです。「負い目」は私達に逃げられない義務を呼び起こし,私達を拘束します。それゆえに「負い目を赦して下さい」と祈ります。三番目の「誘惑に遭わせず、悪い者から救って下さい」は、私達を堕落させる誘惑の背後には、誘惑する者、私達の魂を滅ぼす魂の敵がいます。それゆえに、この敵から私達を救って下さいと祈るのです。

この祈りの後、イエス様は更に、私達が人の『過ち』を赦す時、神様は私達を赦されると言われます。神様の赦しがなければ、私達は神の国に入ることは出来ません。神様の赦しは、私達のすぐ近くにあるのです。
エス様の教えに従って、私達もそのように祈っていきましょう。