2011-03-20から1日間の記事一覧

ペトロの二重のあやまち

イエス様の苦難と死の予告に対して、ペトロはイエス様を脇へお連れしました。これは、「主イエス様を中心とし」ていない姿です。さらにペトロは、イエス様の言葉をいさめました。イエス様のお言葉が、自分の考えや期待とは違っていたからです。私達もペトロ…

「誰にも話さないように」

イエス様は、ご自分がメシアであることを誰にも言ってはならないと命じられました。イエス様がメシアであることをこの世が受け入れるには、まだ時が来ていなかったからでしょう。31節で語られた「多くの苦しみを受け、殺され」るメシアは、人々の予想とはあ…

「あなたは、メシアです」

「メシア」とはヘブライ語で「油注がれた者」という意味です。イスラエルの人々にとって油を注がれた人は、神様からの特別な使命の為に選ばれ、それを果たす為に神様から特別、力を与えられた存在でした。イスラエルの人々の「メシア」信仰は、BC千年頃栄え…

「それでは、あなた方は?」

今日の聖書で大事なのは、「あなた方は私を何者だと言うのか。」との問いと、「あなたは、メシアです」というペトロの答えです(29節)。イエス様の、「私に従ってきたあなた方は私のことをどう認識しているのか」というこの問いこそ、神様が地上に神の国の…

「人々は私のことを何者だと言っているか」

今日の聖書は、イエス様がフィリポ・カイサリア地方に出かけられた時のことです。ここは、イエス様が宣教活動されてきたガリラヤ湖周辺より北40キロにある異教の町でした。ギリシャの神々の一つである牧羊神パーンやローマ皇帝が神として祭られていた所で…

はじめに

先週の水曜日(9日)から、主イエス様のご受難を覚えて過ごす受難節に入りました。初日は「灰の水曜日」と言われ、「灰をかぶって我が身の罪を嘆くほど深く悔い改める」ことをもって始めますが、受難節三日目に今回の東北関東大震災に見舞われたことに、神…

8章27−33節

27 イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。28 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』…

23章5−6節

5 見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え/この国に正義と恵みの業を行う。6 彼の代にユダは救われ/イスラエルは安らかに住む。彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。