イエス様の主権

 最後に読み取りたいのはイエス様の主権です。「ユダの接吻」では、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われました。(他に、「あなたは何の為にここにいるのか、そのことをやれ」との訳があります)。「弟子の抵抗」に対しては、「願うなら、父は12軍団以上の天使を今すぐにでも送って下さるだろう」と無力だから逮捕されるのではないことを伝え、力をもって力を制する道を止められました。メシア(救い主)が受難の道(十字架への道)を歩むことによって、救いの道が開かれるからです。そして「群衆」に対しては、「なぜ、強盗と同じような捕らえ方をするのか。」とその愚かさを指摘されました。上記の三つのどの場面においてもリードしているのは常にイエス様であり、外見上は権力者の力でイエス様を逮捕しましたが、その中身はイエス様が神様のご計画に従い、十字架の道を選び取ったというイエス様の勝利であり、他の者はすべて神様のご計画に奉仕させられている、ということが示されています。