2008-08-17から1日間の記事一覧

全くあれ

「全くあれ」という主イエスの教えは、私共にとっては不可能なことでしょう。但し主イエスが律法の完成者(律法を成就した律法の終り)ですから、キリストにさえ従えばよい、キリストを受け入れさえすればよろしい。神の言葉を受け入れる、神の言葉を聞く、…

律法は「義を求めさせる働き」を持つ

このことをキリストの語られる話から考えてみますと、「神の求めている義」というのは、「キリストを告白する」ことでありますけれども、しかし、神の義そのものは、律法によって「神に仕え、神に従うこと」を求めており、「天の父が完全であられるように、…

信仰を通して

しかし良心は、悪を指摘し、間違ったということを自覚せしめますが、罪の自覚を生じるまではいきません。律法はキリストに導く教師・案内係かもしれませんが、すぐはそういきません。パウロはキリストに出会って、キリストの救いをいただいて、「律法は罪の…

良心の問題点

ただし良心は一つのことだけ知っているわけではありません。善と悪についても、さまざまなことを知っている。その良心が属する集団、社会、国によって必ずしも同じとはいえないかもしれません。にもかかわらず、「良心」は誰でもが生まれながらにして持って…

良心

律法に何が書いてあるかは別として、私達の良心が律法を証しする、律法と同じことをする、ということが付け加わっています。これは日本人として大切なことです。日本には「律法」という言葉はないので、律法がわからない人でも「良心」ならわかります。パウ…

律法とはどういうものか

モーセの十戒には、律法の全体がよく示されています。前半は「心をつくし、精神をつくし、力をつくして汝の神を愛せよ」=「主を畏れ、従いなさい」という戒めであり、後半の人間に関する戒めは、「汝の父母を敬え」(五戒)以外は、○○してはならないという最…

律法は罪の自覚のみ

どういうふうに律法は養育係、案内役になるかというと、まず第一に、律法はキリストに導く反面教師ということです。「なぜなら、律法を実行することによっては、誰一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。」(3:20…

律法は福音の証人・養育係・目標

21節には、律法は福音(キリスト)の証人となるということが書かれています。パウロは同じことを別の言葉で・・「律法は、私達をキリストのもとへ導く養育係」(ガラテヤ3:24)といっています。さらにもう一つ、パウロは大事なことを言っています・・「キ…

はじめに

前回(4月20日の礼拝説教)、ロマ書1章17節で「神の義とは『福音』である。『イエス・キリスト』である。」ということを学びました。本日の聖書の冒頭には「今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。」とあり…

 3章21−26節

21 ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。 23 人は皆、罪を犯し…

 14:1−7

1 神を知らぬ者は心に言う/「神などない」と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はいない。 2 主は天から人の子らを見渡し、探される/目覚めた人、神を求める人はいないか、と。 3 だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善…