良心

 律法に何が書いてあるかは別として、私達の良心が律法を証しする、律法と同じことをする、ということが付け加わっています。これは日本人として大切なことです。日本には「律法」という言葉はないので、律法がわからない人でも「良心」ならわかります。パウロは「良心が律法を証しする」といっています・・「たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています。」(ロマ書2:14−15)。律法は良心と同じことです。理性といっていいかもしれません。聖書の教えを持たない者でも、二つの大きな愛の戒め(神を崇め、愛し、神に従う/隣人を愛する)を、良心は知っているのです。たとえ律法をもたない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。」 このように良心は、律法の命じる善悪は知っているし、してはならないことも知っています。