「人間をとる漁師」

 今日の聖書に「人間をとる漁師」という表現がでてきます。「漁師」ということで、今日の旧約聖書エレミヤ書などでは、敵を表現するもので、あまりいい意味はありません。「漁師」ではないのですが、わたしもかつて、この世で、人をとる仕事をしていました。採用係といって、企業に働き口を求めてやってくる学生さん達を選んで採用する仕事です。会社や社会システムの矛盾を疑問に思いながら、「うちの会社はいい会社です。あなたの可能性を高めます」などとあまり思ってもいないことを言わなくてはならず、うそをつかねばならない罪悪感の中で仕事をしていました。会社説明会でも大勢の前で説明する立場になり、「どうせなら真実を語る口にしてほしい」と秘かに願っていました。ちょうど教会の門をたたいた頃でした。

 数年たって洗礼を受ける決意を与えられましたが、礼拝だけは守る姿勢で歩んできました。恵みを受けて、このたび、福音宣教の仕事を担わせていただけるようになりました。信仰の基準が高いわけでは全然ありません。この期に及んで御言葉を勉強中です。この世の中にありながら、どうにかこうにか心を神様に向け、なんとか守られたとしかいいようがありません。かつてこの世をアップアップしながら泳ぎつつ、神様の清さと愛の大きさにあこがれつつ、生かしていただいてきた自分を思い出します。