主の召しに答える

 二組の兄弟は、主の召しにすぐに答えそれまで積み重ねてきたものすべてを捨てて、主に従うという行動をしました。「主の召しに答える」ということでは、アブラハムモーセの信仰を思い起こします。主が安住の地に導くことを約束され、それをひたすら信じていけばいいのです。彼らはそう信じ、そう行ない、神様の祝福を得ました。思い煩いの多い私などがその立場になったら、途中の困難に出会うたびに、いちいち立ち止まって動けなくなるな〜と予測できます。四人の弟子達は核になる弟子と言いましたが、実は、いろいろ失敗して、イエス様を激しく怒らせたり、絶望させていますし、イエス様の受難の際には逃げ去ってしまっています。しかし、イエス様の復活の後は、悔い改めて、許され、福音伝道に邁進したのです。彼らの歩みは、実にこの点で後に続く信徒の慰めになります。