すべてのことがゆるされている

信仰者であるにもかかわらず性的不品行を行なう人達は、自分のしていることを悪いとは考えていませんでした。彼らの口癖は「私には、すべてのことが許されている」でした。彼らは当時はやりの思想であった「霊と肉を分けて」考え、「自分達はイエス・キリストを信じる信仰によって霊的な存在とされた者だから、魂の救いはすでに完了している。それゆえ肉体は重要ではなく、肉体が何をしても全く問題はない。」と主張して、「だから、わたしにはすべてのことが許されている」と言っておりました。
 イエス・キリストを信じる者は、神様によって「神の国の民」とされた者であり、この世の価値観から自由にされた者です。しかしパウロは、彼らに二度繰り返して反論しています。「しかし、すべてのことが益になるわけではない。」「しかし、わたしは何事にも支配されはしない」と。