信仰者の目

神様の御業を見ることは、普通は隠されています。信仰を与えられた者だけが、ある事柄を見て、それを神様の恵みとして喜び、感謝して受けることが出来ます。信仰者の目は時代を超えて、神様の永遠の救いの御計画を見上げることが出来ます。「この世の知恵」と「神様の知恵」が完全に違っていることは、十字架に目を向ける時に明らかになります。 
2000年前イエス様を十字架につけた人達は、イエス様を通して神様の栄光を見ることは出来ませんでした。なぜなら彼らは、イエス様をこの世の知恵で判断し、無力な者・有罪判決を受けた者とみなしたからです。イエス様を断罪した祭司や律法学者達は無知ではなく当時の人々が持ちうる知恵・知識を十分持っていました。彼らは神様を知っていたがゆえに、当時の律法にのっとって死刑を求刑しました。「人の目と心の思い」だけでは神様の知恵に到達し得ないことを先のイザヤ書は告げています。