『ナザレの人イエス』と呼ばれた主

  今日の聖書の直前に、夢で天使からヘロデ王の殺意を知らされ、両親は幼いイエス様を連れてエジプトへ逃げたことが記されています。その後、再び天使からヘロデ王の死によって、イスラエルに戻るよう示されます。イエス様の父なる神様は、御子イエス様を「ガリラヤのナザレ」に導かれました。当時のイスラエルの人々にとってユダヤ地方から離れたガリラヤ地方は同じ国とは思えない地域であり、「異邦人のガリラヤ」(イザヤ書8章)と言われ、ヨハネ福音書には「ナザレから良いものが出るはずはない」との弟子の友人の言葉があります(1:46)。
 神様の御心をすべて理解することはできませんが、「ナザレの人イエス」と呼ばれる理由の一つは、神様のへりくだりの本質の表れであり、二つ目には、弱さを愛する神、しかし同時に、弱さゆえに神が共にいて下さることへの強さを示しているように思います。聖書に証しされている神様は、人間を愛し、へりくだって共に歩んで下さるお方です。イエス様はそのへりくだりの故に、小さい時から多くの苦難の中に投げ込まれて、神の御子とはおよそふさわしくない低さに置かれました。