はじめに

使徒パウロは、熱心なユダヤ教徒であり、又、ファリサイ派の指導者として有名なガマリエルの門下生として厳しい教育を受けてきた人です。
「自分は律法に関しては非の打ちどころのない者であった」と自己紹介しているほどです。その彼が、イエス・キリストに出会い(天からの声を聞き)、キリスト教徒となり、さらにキリスト教の大伝道者となりました。では、パウロはそれ迄に身につけてきたユダヤ教の高い学歴と深い教養を、自分の武器の一つとして伝道で使おうとしたかといえば、答えはノーです。彼は、これらの知識はキリストのゆえに「損失」とみなすようになったと言っています(フィリピ書3:8)。今朝の聖書でも「この世の知恵」に関してイザヤ書29:14の、神様の言葉を引用します「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」(1:19)。 更に、「私の言葉も私の宣教も、知恵にあふれた言葉によらなかった」(2:4)と述懐します。この世の知恵は「滅びゆく支配者達の知恵」(2:6)なのです。