教誨師の話

 牧師で教誨師(受刑者にそれぞれの宗教の立場で教える牧師やお坊さん)をやっている方が書いておられました。刑務所では講義形式で行う集合教誨、10数名程度の定員にしぼって行う座談会教誨、個別にカウンセリングを行う個人教誨があり、どれも受刑者個人の希望で選ぶそうです。中でも、牧師への希望が多いそうです。多分キリストの十字架の出来事が、犯罪を犯した人にとって強く印象づけられるのだと思う、と書いておられました。私が言葉を補うなら、自分の犯した罪に対する罰、そしてその赦しを、キリスト教はしっかりと十字架の出来事を通して教えているからだと思います。私達は人に恨み・つらみをもって、いつも裁いている。だけども人によっても裁き返される。しかしそこにはきちんと正義の原則で決着がつけられなければいけない。受刑者は、ほとんどの人が罪を悔いることになる。その時に自分が犯した罪にきちんと決着がつけられる十字架が印象深く受け止められるのではないかと思います。