人々のこたえ

 ある人々はイエス様を洗礼者ヨハネがよみがえったのだと考えました。ヘロデ王が神の道に背いて洗礼者ヨハネを殺したので、神様がヨハネをよみがえらせて人々に説教を続けさせている、と考えました。彼らはイエス様の説教の中に、ヨハネが語った罪への裁きと悔い改めによる赦しを聞いたからでありましょう。又、エリヤだと考えた人(マラキ書3:23参照)、エレミヤだと考えた人(エリヤと同様、終末に現れるとの伝説)、預言者の一人と考えた人達がいた一方で、待望のメシヤであると考える群衆はいませんでした。それは当時の人々は、メシヤとは、自分達をローマの圧制から救い出してくれる偉大な王(かつてのダビデ王のように)としてこの世の権力を握る人を想像していたようです。イエス様の奇蹟の力を見ても、そのへりくだる身の低さは自分達の運命を変えてくれるようなメシア像とかけ離れていたことでしょう。