イエス・キリストの義をいただく

 幼子のようになる道が、イエス・キリストを信じて義とされることであるならば、それは自分の努力によってではなく、神様の恵みの中で行われることであり、具体的には聖霊の働きによるものです。弟子達は「天の国で一番偉い者とされる」という目標を信仰だと考えましたが、それは信仰ではなく誇りです。信仰とは自分の偉さを見つめるのではなく、イエス・キリストの偉大さを知り、神様の愛から確信を得るものです。上を仰ぎ見て「あなたこそ慈愛に富んだお方である」と賛美しながら生きることです。