私達の生きる基準

 神様への愛、そして人への愛が芽生えて活発になると、どうしたらもっと愛せるようになるのか、どういうふうにして神様に仕え、隣人に仕えていけばいいのか、その手段、方法を熱心に考えるようになります。ここで、イエス様が教えておられる愛は、神の愛(アガペーの愛)です。神様の愛(神様が一人子イエス?キリストを私の為に遣わして下さった)を学んだ者は、その愛が私一人にとどまらず、家族にも友人にも親族にも知人にも及ぶことを知り、そのことに心を傾けていきます。神への愛と隣人への愛の教えは、私達の義務?責任の基準を私達に与えてくれるのです。

 イエス様は、このいましめを示すことによって、正しいことと正しくないこと、あるいは義務と罪がごちゃまぜになることがないようにされました。何が善で、何が悪であるのかを示されました。とりわけ教会の中においては、この教え、神への愛と隣人への愛が、中心に据えられているかどうかが、教会が教会であり続けているかどうかの基準となります。イエス様は「律法全体と預言者は、この二つのおきてに基づいている」と言われました。「律法全体と預言者」とは、旧約聖書のことです。旧約聖書は、この二つのいましめが、ちょうつがいの金具の働きをしている、とイエス様はいわれました。