私達の「霊」の中心

 私達に与えられている「霊」の中心に、「神様の霊」を置くにはどうすれば良いのでしょうか。一瞬の幸せに惑わされて、「霊」の中心を「神の霊」以外のものに明け渡す時、後に待っているのは、破滅や孤独です。詩編51:19には「打ち砕かれた霊」「打ち砕かれ悔いる心」という言葉が記されています。自分の殻、傲慢さが打ち砕かれた時、はじめて主なる神様が来て下さる受け皿が整えられる。自分の罪深さを深く認識することによって、そこから抜け出たいと思うようになる。にもかかわらず自分ではどうにもできない、神様なしではどうにもならないという心からの悔い改めが起こり、主なる神様を求める心が強くされ、「霊」の中心に神様をお迎えする土台ができる。そして、神様への呼びかけの回路を修復するために贖いとなって下さったイエス様の福音を信じることができるようになる。さらに、自分だけにとどめるのではなく、周りに宣べ伝える・・。そのような信仰の形ができてきます。