命のパンであるキリスト

今、読んでいただいた聖書の前に「はっきり言っておく。あなた方が私を捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。」(26節)とあります。
群衆は、自分達の空腹を満たすためにパンをくれるお方としてイエス様を見ました。イエス様は確かに肉体的な欠乏を補って下さいましたが、その奇跡の力を通してイエス様が神の子である(救い主である)という「神の力」を見ることが出来たならば、彼らはイエス様を通して神様を見る信仰へと高められていくことが出来たはずでした。しかし群衆は、神様が下さる救いを求めて来たのではなく、満腹させてくれた「パン」(自分達の利益につながる食べ物)にとどまっていたのです。

エス様はそれを見抜かれました。それゆえに食べたら終ってしまうパンを求めるのではなく、イエス様がその為に来たところの「永遠の命に至る食物」の為に働くように教えられました。「では何をしたら良いか」と尋ねる群衆に、イエス様は「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である」(29節)と答えられました。神様が「まことのパン」を与えてこの世に命を与えること、「まことのパン」「命のパン」とは、イエス様ご自身のことであり、イエス様を信じることによってイエス様とつながり、そのことによって命を受けることを教えられたのです。