はじめに

 日本キリスト教団では、10月第二日曜日を「神学校日」「伝道献身者奨励日」と定め、神様の御用の為に自分の生涯を献げることを奨め励まし、又、神学校を覚えて祈り、献金を通して支える日でもあります。私達の伝道所では四年前、遠藤兄が献身されました。現在、卒業論文を終えて、来春伝道者として新しい一歩を踏み出す予定です。 
 伝道者として生涯を神様に献げる、との献身の思いがどのように与えられるのか、100人いれば100通りの献身の姿があります。本日読んだエレミヤ書では、神様が、母の胎内に入る前からエレミヤを預言者として選び出していたと伝えています。その召命に対して、エレミヤは「私は若者にすぎない。私は語る言葉を持たない」と断わりました。神様はエレミヤに、「若者にすぎないと言ってはならない。私があなたを誰の所へ遣わそうとも、行って私が命じることを全て語れ。彼らを恐れるな。私があなたと共にいて必ず救い出す」と約束されました。 
 預言者エレミヤの生涯は大変苦労の多いものでした。エレミヤは、次のように告白しています「私は一日中、笑い者にされ人が皆、私をあざけります。主の言葉のゆえに、私は一日中恥とそしりを受けねばなりません。主の名を口にすまい、もうその名によって語るまいと思っても、主の言葉は、私の心の中 骨の中に閉じ込められて火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして 私は疲れ果てました。私の負けです。」(20章)。
 私の母教会の牧師(大谷賢二師)も、戦中・戦後の伝道生活の中で警察から目をつけられたり、暴力団からのいやがらせが多くあったそうです。その地域は、多くの伝道者が伝道をあきらめて撤退した地域と聞きました。大谷師は多くの困難に耐えて、ついに毎週100人以上で礼拝をささげるまでになりました。勿論、神様の御業が働いた結果です。 伝道者が困難を乗り越えられるのは、神様が共にいて下さり、助けて下さり、無価値な自分を用いて下さることの光栄と喜びがあるからといえるでしょう。今日の日を覚えて、伝道者が多く起こされるよう祈っていただければ幸いです。