いばらからぶどうは取れない

エス様は「ほんもの」と「にせもの」を区別するために、いばらとぶどう、あざみといちじくを引用します。似ていても一方は実を結ぶ食料となり、他方は障害物となること、又、同じ実を結ぶ木でも良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶこと。その事実から私達は導き手を判断せよと教えられます。マルティン・ルターも「善い義しい人が善い義しい行いをする。どんな場合にも人格が、あらゆる善い行為に先立ってあらかじめ善であり義でなければならない。」と言っています。