「神殿の屋根から飛び降りてみよ」
第三の誘惑は、悪魔が聖書の言葉「どこにおいても、天使が助ける」(詩編91:11−12)をもって、イエス様に「神の子」証明をさせることでした。しかしイエス様は、ご自身が神の子であることを証明するために神様が天使を遣わされることを良しとされませんでした。神殿から飛び降りることは神様の御命令ではありません。御命令でなければ何もしない。ただ神様に服従して導きを待つ。イエス様は、申命記6章16節「あなた達の神、主を試してはならない」で答えられました。こうしてイエス様は、私達信仰者にも、悪魔の誘惑に勝利する道を明らかに示されたのです。神様に対するゆるぎない信頼と完全な服従、生も死もすべては神様の御手の中にあるゆえ、神様に自分の全存在を委ねる道です。
「石をパンに変えよ」
空腹のイエス様に、悪魔は「あなたが神の子ならば、石をパンに変えよ」と誘惑した目的は、自分の命を保つためならば、神の子に与えられている奇跡を行う力を使っても何の問題もないだろうというわけです。拡大解釈するならば、石を(人間の命を基本的に支える)パンに変える奇跡を行うなら、イエス様が人々にご自分を神の子と信じさせる目的は、成功するだろうとの誘惑があります。(ヨハネ6:26参照)。イエス様はこの誘惑に対して、申命記8章3節「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」と答えられました。神様を信頼して生きる者は、生命維持のために自分の力でパンを獲得するのではなく、養って下さる神様から必要なものを受け取ること、又、命を支える手段はパンだけではない。神様が「光あれ」と言われて光があったように、神様が「生きよ」と言って下さるなら、私達には生きる道が備えられるということです。大切なことは、私達の肉体への配慮ではなく、私達の魂が神様に向かい、神様からの言葉と神様の命をいただくことです。
荒れ野の誘惑の意味
イエス様の、神の御子としての働きとは、すべての人を神様のもとに立ち帰らせること、すべての人が悔い改めを通して罪の赦しが与えられ、神の国の民とされること、すべての人がイエス様を神の御子と信じイエス様に従うことです。この目的のために、イエス様はこれからどのような方法・仕方でご自分を人々の前に現わされようとしているのか。神様は、御子イエス様が、その使命を果たされるにあたり、その姿勢と覚悟を、この世の闇の支配者である悪魔の前で明確になさるために、荒野へ導かれたように思います。2節には、イエス様が40日間、何も食べずに空腹を覚えられたとあります。40日の断食後の空腹感は、私達の想像を絶するものであったでしょう。肉体を持つ人間の極限状況の中で、悪魔はイエス様を、三度にわたって、自分の支配下に置こうと誘惑を試みるのです。