2008-08-10から1日間の記事一覧

ゲッセマネの祈り

「父よ、出来ることなら、この杯を私から過ぎ去らせて下さい。しかし私の願いどおりではなく、御心のままに」。「父よ、私が飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように」 ゲッセマネの祈りは、「父なる神様が十字架とい…

罪をつぐなうために

イエス様にとって十字架はすべてのものを放棄することです。全人類の罪を背負うということは、罪なきイエス様が罪人になることであり、罪人になるということは、神様に敵対する人間になるということです。それは、神様の助けも憐れみも、御子としての特権も…

十字架の死の意味

上記の「彼」の部分を「イエス様」に置き換えて読む時、「イエス様の死の意味」が明らかにされます。イエス様は私達人間の罪を神様にとりなし、罪をつぐなう為の犠牲のささげものとして十字架に向かわれるのです。殺される体と流される血潮によって救いの道…

苦難のしもべ

イエス様は十字架の死を、弟子達にあらかじめ予告されておりました。 イエス様はいつも聖書に書かれていることを中心に語られておりましたから、預言書(旧約聖書)の中の、メシア・救い主の記述を読み、ご自身がそのように生きることを使命と考えておられた…

イエス様の悲しみ

イエス様の、死ぬほど悲しいと悲しまれているその中身は一体何でしょうか。もしイエス様のこの悲しみを私たちが理解できたならば、私達もイエス様のその祈りに、わずかでもあずかれるのではないかと思います。

はじめに

イエス様は、地上を去る時=「死」が刻一刻と近づいているのをご存じでした。イエス様は殺されるようなことはしておらず、神の国について宣べ伝え、真理を語り、人々を教え、導き、多くの病人をいやされました。何一つ間違ったことをせず、言わず、神様を愛…

 26章36−46節

36 それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。 37 ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。 38 そして、彼らに…