私達の警戒すべきパン種

 私達も外側にこだわり中身をおざなりにする偽善を警戒しなければなりません。それと同時に、幼い時から見聞きしてきた仏教・神道・伝統・言い伝え・迷信・おまじないのたぐいの中にひそむパン種に注意しなjければなりません。たとえば、仏教の中に、死者を守り神とする信仰があります。私の知っている90代のクリスチャンのご婦人は、神様と亡くなった息子さんが自分を守ってくれていると信じておられます。もう一人の80代のご婦人は、息子さんの位牌と聖書の言葉を書いた紙を並べて飾っています。又、最近出席したあるキリスト教会の葬儀で読まれた教会員の弔辞の中に「千の風にのって」が引用されました。アメリカ人の歌詞の作者は、「私の墓の前で泣くな。私はそこにはいない」とは、復活の主を告げる言葉として書いたそうですが、訳した日本人は、聖霊を死者の霊に置き換えてしまったようです。にもかかわらず、キリスト者がそれを受け入れてしまっている現実があります。神様の位置に死んだ人間を置いてしまうのは、偶像崇拝にほかなりません。日本人キリスト者の中には信仰は信仰として、方角や、仏滅などの日を相変わらず気にしたり、迷信(・・をするとたたりがある)とかおまじない(・・すれば・・なる)、あるいは運勢などからきっぱり自由になれない方達もおられます。それこそイエス様が弟子達に注意を促したパン種の発酵力の強さでありましょう。私達が本当に畏れなければならない方は、天地万物を創られ,私達に命を与え、生かしてくださっている父なる神様であり、御子イエス・キリストです。イエス・キリストを神の子と信じる信仰こそすべてに打ち勝つものです。今週もイエス様から目を離さず、しっかり歩みたいと思います。

「日々、聖霊に満たされて」(A・W・トウザー著)より