本日の旧約聖書、イザヤ書55章1節−2節

「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。穀物を求めて食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め 価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い 飢えを満たさぬもののために労するのか。わたしに聞き従えば 良いものを食べることが出来る。あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。」

 
この箇所は実に印象深い箇所であります。「来て買え。求めて得よ。」 「買え」という表現がもともと使われていました。お金を払わず買え。価を払うことなく買って自分の手元におけ。食べよ。「金もないのに買え」というその意味は、「私に聞き従えば、良い物を食べることが出来、あなた達の魂はその豊かさで楽しむであろう。」