「このときから・・打ち明け始められた」(21節)

 キリスト教では「時」ということを大変大事に考えます。最も良く知られている言葉が、コヘレトの言葉3章です。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時、殺す時、癒す時、破壊する時、建てる時、泣く時、笑う時、嘆く時、踊る時、石を放つ時、石を集める時、抱擁の時、抱擁を遠ざける時、求める時、失なう時、保つ時、放つ時、裂く時、縫う時、黙する時、語る時、愛する時、憎む時、戦いの時、平和の時」・・。ここで言う「この時」とはペテロがイエス様に対して「あなたはメシア、生ける神の子です」との信仰告白をした時をさしています。イエス様は弟子達に、ご自分のこれからのことを明らかにされる「時」を選ばれました。そして、この時からイエス様の新たな別の歩み・・・「エルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者達から多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活する」(21節)道への第一歩を始められたということです。