本日の礼拝は、召天者記念礼拝として守っています。生まれながらの私達人間は、罪ふかく、誰一人として天の国に行くことは出来ません。もしイエス様が来て下さらなかったら、私達にとって死は絶望でありました。死はすべてのものを無に帰するものではなく、聖書の信仰によるならば、死は刑罰の意味を持っています。ロマ書7章には「罪が支払う報酬は死です」とあるように、死は、罪の結果として与えられたものです。しかし神様は、イエス・キリストを遣わして人間が受けねばならなかったこの刑罰を代わりに引き受けて下さいました。このイエス・キリストの一回的な死によって、全人類の罪が赦されたのであり、それによって死はもはや信じる者にとっては刑罰でも、恐怖でもなくなりました。 死は、イエス・キリストを信じる者にとっては「永遠の命」に至るプロセスです。
ここに飾りました写真の方々は、イエス・キリストを信じる信仰を家族に、(そして隣人に)遺していかれた方々です。信仰は伝達、継承されていくべきであります。基督教の命は、信仰者が、キリストの復活の証人として家族に、隣人に伝えていくことにあります。写真の方々によって伝えられた信仰が今、ここで礼拝をささげる群れへとつながっていることを覚えて、神様に感謝したいと思います。