2007-11-04から1日間の記事一覧

本日の礼拝は、召天者記念礼拝として守っています。生まれながらの私達人間は、罪ふかく、誰一人として天の国に行くことは出来ません。もしイエス様が来て下さらなかったら、私達にとって死は絶望でありました。死はすべてのものを無に帰するものではなく、…

<フィリピ書2章3節−11節>

「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリストイエスにもみられるものです。 キリストは…

へりくだり、従順であられたイエス様

イエス様は周囲から抜きんでて他人を見下げるような、他人を小さくするような力を退けます。他者を大きくし、他者を高め、他者を強くするように力を用いることを教えられます。イエス様は、人を富ませることはあっても、ご自分を富ませることはなさいません…

三つ目の問題点

三つ目の問題点は、この願い事を知って腹をたてているほかの弟子達も含めて、「天の国においては、この世のあり方とは違う」ということがわかっていないことです。この世では、支配者は支配される者に力をふるい、彼らを従わせることが偉大なこととして評価…

二つ目の問題点

二つ目の問題点は、母親は願う相手を間違えているということです。イエス様は確かに神の国において主でありたもうお方です。しかしイエス様の力の根源は父なる神様への服従に基づいており、父なる神様の決定こそイエス様の原則です。誰が左右に座るかという…

三つの問題点

しかしこの願いに対してイエス様は三つのことを教えられています。一つは、イエス様が将来王座につくことになるのは、これから迎えることになる受難の一つ一つのプロセスを、神様から与えられた使命として従順に従うその結果です。イエス様の左右に座る者は…

ヤコブとヨハネとその母の願い事

この後、ヤコブとヨハネ(兄弟)の母親が願い事をする為に、二人の息子と一緒にイエス様のところにやってきました。この二人は12弟子の中でもペテロと一緒にいつもイエス様と行動を共にしていた弟子でした。母親の願いとは、将来、自分達の息子をイエス様の…

はじめに

今日の聖書には、イエス様の三回目の「十字架の死と復活」の予告がされています。イエス様の受難は、まずユダヤ人に引き渡されて死刑が宣告され、その後異邦人(ローマ人)に引き渡され、侮辱され、むちで打たれてから十字架刑の執行を受けるという予告です…

 20章17−28節 

17 イエスはエルサレムへ上って行く途中、十二人の弟子だけを呼び寄せて言われた。18 「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、19 異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭…