裏切りの結末

 しかしユダの場合、イエス・キリストを敵に渡したことが、たったそれだけのこと、と思っていたそのことが、十字架へとつながっていく展開に気がついたのです。ユダは驚きます。そこまでは考えていなかったのでありましょう。イエス・キリストを殺すということは、弟子としてこれまでの自分をも否定する出来事です。ユダは、イエス・キリストを裏切っただけではなく、自分自身をも裏切ったことに気が付きます。聖書は次のように記しています。「エスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨30枚を祭司長達や、長老達に返そうとして『私は罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました』と言った。しかし彼らは,『我々の知ったことではない。おまえの問題だ』と言った。そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。」(マタイ27:3−5)。後に、イエス・キリストは十字架の上で、「父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです」と祈りましたが、その言葉はイスカリオテのユダにも妥当する言葉であったのでしょうが、ユダ自身がそのような言葉を拒絶してしまう生き方をしてしまったのです。